妻が「歩き方教習所」なるものに通い出した。
歩き方なんて、いちいち習ってどうするというのだろう。
「あら、すごくいいのよ。人間、歩き方が変わると気持ちも変わるものよ」
妻はそんな風に言っていたが、私は聞き流していた。
「先生が上手でねぇ、手取り足取り教えてくれるのよ」
「……先生っていうのは女性なのか」
「? 男性ですけど」
「なに!? 男なのか?!」
「そうですけど、私たちより年上ですよ」
それは聞き捨てならない。
私は妻と一緒に歩き方教習所に通うことにした。
歩き方教習所では、ファッションモデルにランウェイの歩き方を教えていたり、運動会の二人三脚の指導などもしていた。
東京の歩き方講習、なんていうものもあり、それはいかにして人とぶつからずに歩くかという講習なのだった。
聞いていたとおり、妻の先生は老齢の男性で、新しく入った私に穏やかな口調で「レッスン1と行きましょうか」と言って、歩き方の講習を始めた。
講習は確かに良かった。
背筋を伸ばして適切な速さで歩くことは、人間にとって大切なことらしい。
講習を受け始めてから健康になったような気がする。
「ね、いいでしょ?」
「まぁ、俺はおまえとの夫婦の歩き方を習いたいけどな」
「あなたったら」
講習に通い始めて数年が経ち、先生が亡くなり、そして……私の番がやってきた。
「私が先ですまないな」
私は妻に言った。
「先生に会ったら、天国の歩き方を教えてもらっておくよ」
妻に見送られて、私は自分の体を抜け出した。
そして、私が次に聞いたのは「レッスン1と行きましょうか」という懐かしい声だった。
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