感情ミキサー

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私がそれを見つけた場所はおかしな雑貨屋だった。

三十を目前とした女の趣味が雑貨屋めぐりというのは少し寂しいだろうか?

まぁいい。

おかしな雑貨屋のおかしな風貌の店主は私にそれの説明をした。

“感情ミキサー”

このミキサーを作動させると、そのミキサーをおいた空間の感情がかき回される。

そしてミックスされた感情が自分に流れ込んでくるというのだ。

「植物とかを部屋にたくさん置くといいですよ。植物にも感情はありますから……」

店主そうは言ったあと

「まぁ、もし効果がなければ普通のミキサーとしても使えますし」

と付け足した。

こんな訳の分からない商品を思考停止状態で買ってしまうくらいには私は疲れていたのだと思う。

おかしな雑貨屋に配送してもらったミキサーは翌日自宅に届いた。

大きさは電子レンジと同じくらいだが、形状は普通のミキサーと同じである。

私は1Kのキッチンにミキサーを設置した。

部屋には心ばかりの植物が飾ってある。

ミキサーの効果を検証するために置いたものだ。

日頃から花を飾っておくようなマメな性格ではない。

私は日頃の疲れを引きずった気分のまま、面白半分でミキサーのスイッチを入れた。

ウイーーンというミキサーの稼働音が聞こえる。

何も入っていないミキサーの中で、扇風機の羽のような駆動部分が稼働している。

と、途端に気分がすーーっと爽快になっていく。

まるでこの狭い1Kが森にでもなったように爽やかな気分だ。

先ほどまでの気だるい気持ちはさっぱりと消えている。

このミキサーの効果……だろうか。

私はもう一度ミキサーを稼働させてみたが、先ほどのような気分の転換は見られない。

すでに感情がミックスされたからだろうか?

翌朝。

私は仕事に向かう前のくさくさした気分のまま感情ミキサーを稼働させた。

すると、やはり昨日と同様に爽やかな気分になって、仕事に行く憂鬱さが吹き飛んでしまった。

やはりこのミキサーは本物らしい。

感情ミキサーを使うようになってから私は元々気分が落ち込みがちな性格を治すことができ、そのおかげで仕事もうまく回るようになってきた。

そしてそんな性格の変化のおかげか、人生初の恋人もできた。

恋人となった男性はいつも明るい、本当の私とは対極にいるような人だった。

恋人とは同棲をするようになり、私は何か落ち込むことがあるとミキサーを作動させて彼の陽気さを分けてもらった。

そうなってから初めてわかったことがある。

感情ミキサーによって感情がミックスされるのはミキサーを作動された人間のみではないらしい。

「最近、ちょっと落ち込むことがあるんだよね」

と彼から言われたことで私はそのことに気がついた。

私がミキサーのことを告白すると、彼は嫌がることもなく

「じゃあ犬とか飼うといいかもね。犬って悩みとか少なそう」

などと言って笑った。

私たちはそのまま結婚し、やがて子宝にも恵まれ、娘を一人出産した。

幸せな気持ちはわざわざミキサーを作動させなくても常に私のそばにあり、ミキサーの存在も忘れるほどだった。

そんな幸せから数年経った頃だった。

夫の仕事が忙しくなり、夫はギスギスした気持ちを家庭内に持ち込むことが多くなった。

それにつられて私も少し気持ちが張り詰めることがあったが、娘の存在がそんな私の憂鬱を吹き飛ばしてくれていた。

しかしある日、娘がダイニングキッチンに座り込んでワンワン泣いていた。

どうやら、布を被せておいた感情ミキサーをいたずらで作動させてしまったらしい。

その時、ダイニングには会社から帰ってきたばかりの夫がいた。

夫のギスギスした気持ちが娘に流れ込んでしまったのだろう。

娘は私が抱き上げてもなかなか泣き止まなかった。

夫は「ごめんな、ごめんな」と言っておろおろと娘の顔を覗き込んだ。

私は娘にミキサーについて教え「触らないように」と言ったのだけれど、娘は私と夫がちょっと険悪なムードになると必ずミキサーを作動させ、私と夫の怒気を正面から受け止め、その大きさにわんわんと泣いた。

娘の無垢な愛情が流れ込んだ私と夫は違いに顔を見合わせ、泣く娘をあやした。

子は鎹(かすがい)とは良く言ったものだ。

******

それから私たちは良い時も悪い時も、文字通り家族の感情を一つにすることで家族として支え合ってきた。

そして今、そんな娘が一人の青年を我が家に連れてきている。

「結婚を考えているの」

緊張した面持ちをしている青年の隣で娘が言った。

私たちに異論があろうはずがない。娘が選んだ青年なのだ。

しかし夫はこう口を開いた。

「彼と二人にしてくれないか」

私には、夫が何を考えているのかがなんとなく分かった。

私は娘と一緒に部屋を出た。

「お父さん、あんまり彼をいじめないでよ」

そんな娘の声が届いているのかいないのか、夫は真面目な顔を崩さない。

適当に時間を潰した私と娘は、三十分ほどで部屋に戻った。

と、夫がこちらを見てコクリと頷いた。

後で聞いた話では、夫はこの時、私が睨んだ通りミキサーを作動させたらしい。

彼がどれほど娘のことを考えているかを推し量ろうとしたそうだ。

その結果、彼が娘のことを真剣に考えて、命に替えてでも娘を幸せにしようという嘘偽りない感情でそこに座っていることに、夫は大変満足したようだった。

しかし、正直、その時は夫のことなどかまっている場合ではなかった。

夫の向かいの席に座っている彼が、めそめそと泣いていたのだ。

「ちょっとお父さん! いじめないでって言ったじゃん! 何言ったの!?」

娘が夫に詰め寄る。

私が彼の背中に手を置いてどうしたのか尋ねると、彼はこう言った。

「あ、あの……なんでか分からないんですけど、なにか、こう、大切なものが遠くに行ってしまうような気持ちになって、それで……すみません」

彼は泣きながら頭を下げた。

「まったく……」

私が呆れた気持ちで夫を見ると、夫は娘に叱られながら、バツが悪そうに頭をぽりぽりと掻いていた。

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