メモリースプレー

ショートショート作品
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「おまえでいいか」

と高橋が俺に小さな金属の玉を渡した。

高橋は高校に入ってすぐにできた友達である。

最初はお互い別々のグループに属していたのだが性格や音楽の趣味が合う事が分かって、俺たちはお互い一番仲がいい友達になった。

そんな高橋に渡された金属の玉。

「なんだよこれ?」

と俺が聞くと「いいから持ってろ。毎日。肌身離さず」と高橋は俺に玉を押し付けた。

その時は意味が分からなかったが、俺はとりあえずその玉を制服の内ポケットに入れていつも持ち歩いていた。

そして三年間の高校生活が終わり、俺たちが卒業を迎えた時

「実はな……」

と高橋が種明かしを始めた。

あれから十年。

今日は高橋との約束の日。

時刻は夜中の1時過ぎ。

「うす」

高橋は時間通りにやってきた。

「おまえ、今日実家泊まってんの?」

「そう。おまえは?」

「俺も」

高校を卒業し大学を出た俺たちは、それぞれ就職をして実家を出ていた。

今日は高橋と一緒に夜中の高校に忍びこむ予定になっていたので、前日から実家に泊まりに来ている。

土曜日の深夜。この建物にいるのは警備員と俺たちくらいだろう。

俺と高橋は闇夜に紛れて校舎内に侵入した。

校舎内は自分が通っていた頃と何も変わっていなくて、ただそこを歩くだけで懐かしくなった。

「わざわざアレを取りに行かなくても十分懐かしいな」

「来ただけで満足かも、俺」

そんなことを言い合いながら、高橋と校庭に向かう。

「お、ここ、ここ!」

高橋が手に持った地図を見ながら、校庭の隅を指差す。

確かに、ここに埋めたような記憶がある。十年前の卒業式の日に。

高橋が体育倉庫から勝手に拝借してきたスコップで、校庭の隅を掘る。

警備員が巡回してこないか、たまに背後を確認しながら二人で地面を掘り進めた。

「あった」

高橋が言って、手を止める。

地面の穴に屈みこんだ高橋が、スプレーを取り出した。

「おぉ、懐かしいな」

俺はそう言いながら自分の名前が書かれたスプレーを受け取った。

卒業式の日、高橋は「あれ、まだ持ってるだろうな」と言った。

一年生の頃、もらったあの金属の玉。

「あぁ、持ってるよ。なんなんだよ、これ」

そう尋ねる俺に、高橋はようやく種明かしをした。

高橋が俺にくれたこの玉は「攪拌(かくはん)玉」というものらしい。

スプレー缶の中に入っている玉のことらしく、スプレー缶を振るとカラカラと音がするのはこの玉が入っているからだそうだ。

スプレーの中身が沈殿しないようにするものらしい。

俺が三年間肌身離さず持っていた攪拌玉を受け取った高橋は、それを銀色のスプレー缶の中に入れた。

「名前書け」

と言いながら俺にスプレー缶を渡す。

高橋も自分で持っていたらしい攪拌玉をスプレー缶の中に入れている。

「この攪拌玉の中には俺たちの三年間が染み込んでいる。そしてこの攪拌玉から漏れ出るガスがスプレー缶に溜まるまで十年間。このスプレーにどんな効果があるのかは……十年後のお楽しみだ」

そう言って高橋は十年後にここで再会する約束を取り付けたのである。

そして十年後、二十八歳になった俺たちはこうしてスプレー缶を掘り出した。

高橋が試しにスプレーを噴射させると「プシッ」と音がして透明な何かが吹き出した。

「よし、ガスが溜まってるぞ」

「なぁ高橋。そろそろこれがなんなのか教えろよ」

「ふふふ。まずは俺たちの教室に行こう。そうすれば分かる」

そう言って高橋は一年生の頃の教室に向かった。

教室の様子は当時とあまり変わっていなかったが、当然、日直の欄には知らない名前が書いてあって、教室の後ろにあるロッカーにも見慣れない名前が並んでいる。

「こうするんだ」

高橋がそう言って、黒板の日直の欄にスプレーを吹きかける。

すると「和田/久住」という懐かしい苗字が現れた。

「和田っちと学級委員長の久住だ」

「久住って……あのメガネの?」

「そう。成績学年トップの久住だ」

そう言いながら高橋が今度は教室全体にスプレーを噴射し始めた。

机の様子がさっきとは少し違う。

なんだか、見覚えがあるような……。

「このスプレー缶の中には俺たちの三年間の記憶が詰まっている。それを噴射すると、こうして当時が蘇るんだ」

高橋がスプレーを吹き付けた場所に懐かしい名前がポツポツと浮かぶ。

特に懐かしかったのは後ろの黒板だ。

うちのクラスの担任はやけに体育祭の勝ち負けにこだわる人間で、体育祭のスローガンである「一致団結」を黒板に大きく書いていた。そしてその周りに生徒が書いた小さな落書きが書き込まれている。

「これ描いたのおまえだろ」

高橋がその落書きの一つを指差す。

そこには俺が昔好きだったギャグ漫画のキャラクターが描かれていた。このキャラクターは今でも描ける。

「だな、はは」

そう笑いながら、俺もスプレーを吹きかける。

高橋の記憶に俺の記憶が上塗りされて、より鮮明に絵が浮かび上がった。

「おまえと俺じゃ覚えている物も事も違うからな」

と高橋は言う。そういうものらしい。

「とはいえ、もう卒業して十年だからなぁ。分からないものも多いな」

実際、スプレーを吹きかけて昔の姿に戻してもよく分からないものも多い。

机や椅子などにいちいち特徴があるわけではないからだ。

「バーカ。こいつの本領を発揮するにはな……こうすんだよ!」

そう言って高橋が俺に向かってスプレーを吹き付けた。

「うわ! 何すんだよ!」

そう言って腕で顔だけを防御する。

すると驚くべきことに顔以外の体の部分が高校生の頃に戻ったように学生服姿になった。
どうやら昔の俺に戻ったらしい。

「おぉお!」

「どうだ、すごいだろ」

「あぁ」

「俺にもスプレー吹きかけてくれよ」

高橋に言われて俺は自分のスプレーを吹きかけた。

高橋はされるがままにしていたので、頭から足まで全部スプレーを吹きかけてやった。

「……あ!」

と、高橋が叫ぶ。

「これ、メガネ……」

「あ、悪い。メガネにもかかっちゃったか」

「そうじゃねぇよ!」

高橋が興奮したように周りを見渡す。

「すげぇ……」

「どうしたんだよ?」

「おまえ、今日コンタクトか?」

「? あぁ」

「メガネに変えろ、今すぐ!」

高橋の興奮した様子に、俺は仕方なくコンタクトを外してメガネに付け替えた。

すると高橋がすぐさまスプレーを吹きかけてくる。

「ったくどうしたん……え?」

目を開けた時、メガネを通して見る世界が驚くべきものに変貌していた。

そこには高校時代そのままの教室があって、そしてそこに高校生の俺と高橋、そしてクラスメイトたちがいた。

「おい、みんないるぜ!」

「あぁ、いるな」

「うわ、千葉のやつ、こんなだったなぁ〜〜」

「担任の守谷もいるじゃん! やべぇ〜!」

スプレーを吹きかけられたメガネから通す世界に俺たちははしゃぎまわり、そのまま廊下に出た。

廊下から見える中庭に、見知った顔がちらほら。

「こんなだったなぁ……」

「あぁ……」

二人で中庭を眺める。

高校時代もよくこうやって二人で並んで中庭を眺めていた。

「おい、おまえら何やってる!」

急にそう怒鳴られて身構えると、体育教師の北島が立っていた。

「うは、北島だ!」

「大人になってから見ても迫力あんなぁ〜」

「なんだ、おまえら」

北島が俺たち二人を不審な目で見つめる。

そこで俺はあることに気がついた。

そう言えば、他のクラスメイトたちの声は聞こえないのになんで北島の声だけは聞こえるんだろう……?

「おい、ここで何やってんだ」

と北島に聞かれ、俺はもしやと思いメガネをあげてみた。

「あーーーー!」

そこには、十年分のシワが増えた北島が立っていた。

当直で学校に泊まっていたらしい北島に、俺たち二人はこってり絞られた。

「ったく、三十近くになった大の大人が不法侵入なんかしてんじゃねーよ」

そう言って北島は俺たちの頭を叩いたけれど、高校時代よりも痛くはなかったし、北島もなんだか嬉しそうに見えた。

元この学校の生徒ということで俺たちは無罪放免され、二人で校舎を出た。

スプレーはほとんど中身が切れて、俺たちの姿も元通りになった。

「楽しかったな」

「あぁ」

そんなことを言い合いながら高橋と一緒に校門を出る。

「おっと。大事なのを忘れてたぜ」

と高橋が校門脇の駐輪所に移動する。

「どうした?」

「おまえ、忘れたのか。卒業式の日、書いただろ、ここに」

そう言って高橋が駐輪所の一角、白い柱にスプレーをかける。

「……あ」

そこには、高橋の字で”映画監督”と書いてある。

そしてその隣には……俺の字で”サラリーマン”と書いてあった。

「はは。おまえは昔から現実主義だからな」

そう言って高橋が笑う。

卒業式の日、俺たちはここに自分の夢を書いたのだった。

今はとっくに消されている俺たちの落書きが、スプレーによって蘇った。

高橋は今、映画製作会社の現場で一生懸命働き、映画監督への夢を追い続けている。

つまり、高校生の頃の夢を叶えようと必死なわけだ。

「お互い、自分の夢はあの頃と変わらないみたいだな」

高橋が、めでたく会社員となった俺に言う。

「……違うよ」

そう言って、俺は自分のスプレーを柱に吹きかけた。

“サラリーマン”と書かれていた落書きに斜線が引かれ、その下に”漫画家”という文字が現れた。

「おぉお?」

「……俺、ここでこれを書いておまえと別れた後、家に帰って、それで、またここに戻ってきたんだ。これを書くために」

「そうだったのか。……で? 今はどっちなわけ、夢は」

描いている。もう二十八歳という年齢になって、漫画家になるにはものすごく遅い年齢になったけれど、俺はまだ描いている。

しかし、周りが「転職するなら今のうちだ」「会社辞めて起業する」などと騒ぎ立てるたびに、俺の夢は肩身の狭い思いをしていたことは確かだ。

「今日、ここに来てよかったよ。……やっぱり、俺にはこれだ」

俺がそう言うと、高橋は「そうか」と嬉しそうに言った。

「おまえのデビュー作、映画化する時は俺に撮らせろよ」

そんな風に高校生の頃と同じような青臭いことを言ってくる高橋に「もうちょっと待ってろ」と言いながら俺はスプレー缶を振った。

もう中身は残っていないようで、中でカランカランと攪拌玉が鳴った。

俺にはそれが、第二ラウンド開始の合図のように聞こえた。

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