クチナシ様

ショートショート作品
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 旅行先でふらりと登った名前も知らない山で、とても綺麗な女の人に出会った。

 その人は山にいるにしては簡素な服装をしていて、何というか浮世離れした雰囲気を持っていた。

 その女性は木になっていた見知らぬ実を、つい、と採って頬張ると、山の奥に消えていった。

 不思議な人だった、と思いながら麓に降りてそこにあった喫茶店に入る。

 気さくに話しかけてくれたマスターらしき人にその女性のことを話すと、マスターは驚いた顔をして言った。

「その人はクチナシ様ですね」

「クチナシ……というと、あの花のですか?」

「いいえ」

 それからマスターは、こんな話をしてくれた。

 この町にあるあの山には、ある特別な実がなっている。

 それはさくらんぼに似た実で、僕が見た女性が食べていたのがその実なのだそうだ。

 その実を食べると、食べ始めた年齢から歳をとらなくなる。

 つまり、不老不死になるというのだ。

 しかしその代償として、人と言葉を交わせなくなる。

 話をした瞬間に、その人は死んでしまう。

 また一度実を口にすると、その実しか口にできなくなる。

 その実を食べた人を「クチナシ様」と呼ぶが、クチナシ様になるには二十歳になるまでにその実を食べなければならないらしい。

 クチナシ様になれるのは女性だけなのだそうだ。

「不老不死になれるなんて、ちょっと羨ましいですね」

 私がそういうと、マスターは首を横に振った。

 クチナシ様になった女性は、例外なく自死しているそうだ。

 それも、本来の寿命を迎えるよりもずっとずっと前に。

 マスター曰く「それほど、断絶されるというのは恐ろしいことなのだと思います」とのことだった。

 一方で、クチナシ様がいるおかげで町が守られているという考えもあるそうで、この町では自然災害が極端に少ないらしい。

 だからこの町に住む人々はクチナシ様を信仰の対象としているのだとか。

 マスターは言った。

「私が生まれてからクチナシ様が亡くなられたという話は聞いていません。私たちには何もできないのですが、クチナシ様が心穏やかにお過ごしくださることを祈っています」

 喫茶店を出て、私はもう一度あの山に登った。

 先ほど女性に出会った場所に行ってみるが、もうそこには誰もいない。

 私はそこになっていた実を一つ摘んだ。

 マスターによれば、二十歳を超えた人間が食べても意味はないらしい。

 私はその実を口にいれた。

 初めて口にするその実は、口の中でゆるくはじけ、ほろ苦い味がゆっくりと広がっていった。

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