「盲腸の手術なのに大袈裟ですみません。でも、怖くって……」
そう謝った私に、高階医師は
「いえいえ。そんな方の為の鏡的外科手術ですから」
と言った。
盲腸の手術が必要になった私は、「術後も絶対痛くならない手術を」と様々な病院を探し回った。
そして見つけたのがこの「高階医院」なのである。
高階医院では非常に珍しい手術方式が用いられていた。
その名も「鏡的外科手術法」というものだ。
高階医師は鏡に映した患者の体にメスを入れて手術をする。
そして手術が終わった後に鏡で行った手術の結果を自分に反映させる、というのだ。
なんとも摩訶不思議な手術法だが、医学会などでも見つめられた立派な手術法なのだそうだ。
高階医師は術前説明で医院の中を案内してくれた。
入院する病室などは普通の病院とあまり変わらない。
「シャワーはどうなってますか?」
「電子機器はどこで使えますか?」
といった私の質問に、高階医師は快く答えてくれた。
途中、小さな部屋があったので「ここはなんですか」と聞くと、その時だけ高階医師は少し黙ってから「そこは手術と関係ありませんので」と言葉を濁した。
診察室に戻り、改めて「鏡的外科手術法」の説明を受ける。
「手術の時間になりましたら移動式のベッドに移っていただき、手術室まで移動していただきます。その後、まず”鏡面写し”の作業を行います。手術台に横になっていただき、天井にある手術用の鏡にお姿を写し、定着させます。その後、術中は全身麻酔をかけさせていただきます。私どもは天井の手術用鏡を取り外し、鏡の中のお体に手術を施します。手術が終わり次第、鏡は保管。患者様ご本人は病室にお運びします。麻酔がかかったら、次に目が覚めるのはベッドの上というわけですね」
「分かりました」
「その後、鏡の中のお体の経過を見て、問題ないようであれば二日ほどで鏡の定着を外し、鏡の中のお体をご本人様に返還します。その後約一日の観察期間を経て退院という流れになります」
手術を受ける時と受けてから痛みのある期間は鏡の中に定着した自分が引き受けてくれるので、痛みはまったくない、というのがこの鏡的外科手術法のいいところなのだそうだ。
私は次に看護師さんから入院の手続きの話を聞いた。
あっという間に手術の日はやってきた。
移動式のベッドで手術室に運ばれている時は緊張していたが、手術室に入って高階医師が
「頑張りましょうね」と笑いかけてくれてから後のことは、あまり覚えていない。
麻酔で意識を失う前に、天井に設置されている鏡に写った自分を見た気がした。
「うん、何も問題ないですね。明日には退院できますよ」
診察室で、高階医師はそう言った。
手術は無事成功し、私は鏡に定着した自分も返還してもらった。
正直、自分にはまったく痛みがなかったので、本当に盲腸を取ったのかなぁなんて呑気な気持ちになってくる。
しかし術前に感じていた盲腸の痛みが消えているので、確かに手術はしてもらったようだ。
「先生、本当にありがとうございました」
「いえいえ」
「この手術法、広く知れ渡るといいですね。私も友達とかに口コミしておきます」
そう私が言うと、高階医師は嬉しそうに「ありがとうございます」と言った。
鏡的外科手術法はまだその認知度が低いそうで、高階医師はその有効性を広める為に日々活動しているらしい。
私は自分の体験を手術法の認知拡大に役立てられればいいな、と思った。
診察室を出る前に、私は一つだけ気になっていたことを聞いてみた。
「あの……先生」
「はい?」
「鏡的外科手術法って、術中は本人にまったく痛みはないんですよね。鏡の中の自分に手術をするわけだから」
「そうです」
「それなのに、なんで全身麻酔をするんですか?」
高階医師は迷い顔をしてから、「正しくお伝えするべきかもしれませんね」と言った。
「入院前に、小さな部屋の前を通ったことは覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ……はい」
入院前に質問をしても教えてもらえなかったあの部屋のことだ。
入院中も、あの部屋に看護師さんがちょくちょく出入りしているのを見て、不思議には思っていた。
「あの部屋には、鏡が保管されています。鏡的外科手術法の手術を受けた、ある患者さんの鏡です。鏡的外科手術法の黎明期には、鏡に患者様を定着した後、患者様ご本人には麻酔をかけませんでした。患者様ご本人に痛みはありませんから、問題はないはずでした。しかし……ある問題が起こりまして」
「問題……?」
「えぇ。鏡の中で手術を受けている自分を患者様が見てしまったんですね。その患者様は恐ろしくなったんでしょう、手術台の上を飛び降り、手術室を出て病院から逃げてしまいました。その患者様はまだ戻りません。あの部屋の中にはその時の鏡が保管されているのです。患者様を映した、そのままの姿で」
高階医師はそう言った。
鏡の中に自分を定着されたままのその人は、今どうしているのだろう。
その人は鏡に自分の姿が映るのだろうか。
そして、あの部屋にある鏡の中で、その人の鏡像はその人本人とは別に年老いていくのだろうか。
そんなことを想像してしまい、私は恐ろしくなって足早に診察室を後にした。
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